【世界遺産】ジョグジャカルタ哲学軸

ジョグジャカルタ哲学軸/Sumbu Filosofi 

18世紀にジョグジャカルタ王宮のスルタン・ハメンクブウォノ1世が高度な哲学に基づいて都市構築をした町の中心にある一本の軸。
ジョグジャカルタ哲学軸は2023年に世界遺産登録。

それ以来、政府とジャワ文化の伝統の中心地として続いています。
6キロメートルの南北軸はムラピ山と南海(インド洋)を結ぶ位置にあり、その中心にクラトン(王宮)があり、軸の南北に重要な文化的建造物(トゥグ塔、クラピヤッ)が並び、儀式を通じて結ばれています。
それは、生命のサイクルの印を含む、ジャワ文化における宇宙に関する重要な信念を体現しています。

哲学軸は、人間と神、人間と人間、人間と自然、それを形成す5つの要素
北のムラピ山=「火」、王宮=「大地」、南の海=「水」、「風」、「アカーシャ(虚空)」の関係の調和とバランスを象徴しています。

 

トゥグ塔 Tugu Yogyakarta/Tugu Golong Gilig

ジョグジャカルタのシンボル トゥグ塔

ジョグジャカルタのシンボル トゥグ塔

トゥグ塔はジョグジャカルタ王宮のスルタン・ハメンクブウォノ 1 世によって 1755 年に建設。
南の海、ジョグジャカルタ王宮、メラピ山を結ぶ1本の線のシンボルとなっています。
スルタンは瞑想する際、この記念碑をメラピ山と対峙するための基準として使用したと言われています。

建設された当初は、植民地主義と戦う人民と統治者の団結の精神を表現しており、円形で高さ25メートルほどありました。
しかし、1867年6月10日の地震により倒壊しました。
オランダ政府がトゥグ塔を改修し、1889年完成しました。
トゥグ塔の形は、正方形の形で作られ、高さは15メートル、各面には改修に関わった人たちの名前が記載されました。
トゥグ塔は、国民と王との団結を引き裂くためのオランダの戦術として、ホワイト・パル記念碑と名付けられましたが、この努力は失敗に終わりました。

参照: visitingjogja.com

ヒンズー教のリンガとヨニの「リンガ」を表しているとされています。

 

クラピヤッ Krapyak/Kandang Menjangan

世界遺産 ジョグジャカルタ哲学の軸 クラピヤッ 王の狩猟場

クラトン王宮から約2キロ南に下った場所にあるクラピヤ。
18世紀マタラム王国時代にHanyokrowati王の狩猟の場として作られたとされている。
現在は、商店や住宅でまったく密林のミの字もない状態だが、当時このあたりは、大密林で野生動物が多くおり、ここで狩猟の休憩、捕った獲物を保管していた。
別名Kandang Menjangan(カンダン・ムンジャガン) 
Kandangはインドネシア語で「小屋」
Menjanganはジャワ語で「鹿」の意味。
当時は野生の鹿がたくさんいたそう。

2階建て構造。
2006年の地震により、一部崩壊したこともあり、現在は一般には中には入れない。

クラピヤッは、哲学軸の文脈の中でジャワイスラムの教え”Sangkan Paraning Dumadi”=「人間がどこから来て、どこに帰るのか」
の最初の部分=人生の始まりのシンボルとされています。
ヒンズー教のリンガとヨニの「ヨニ」=母親の子宮を表しているとされています。

哲学軸の通りの名前

哲学軸の道となるマリオボロ通りの南北に延びる3つの通りは、2013年に哲学軸にふさわしい名前に変更されました。

Mangkubumi通り→ Margo Utomo通り

マリオボロ通りの北側、トゥグ塔からジョグジャカルタ駅までの通り。
“Margo Utomo”はジャワ語で「美徳、善行の道」の意味。

Ahmad Yani通り→ Margo Mulyo通り

マリオボロ通りの南側、ブリンハルジョ市場やHamzah Batik前の通り。
“Margo Mulyo”はジャワ語で「栄光への道」
栄光の象徴として、物質的欲求を満たすブリンハルジョ市場があります。

Trikora通り→ Pangurakan通り

Ahmad Yani通りの南側。
ジョグジャカルタ中央郵便局から王宮北広場までの通り。
“Pangurakan”はジャワ語で「追い出す」の意味。
この道は王宮北側の監視所として機能し、通りには2つの壁門があります。
この門は、人間のライフサイクルにおける「死」の段階、魂が肉体から離れてその起源(神)に戻ることを象徴しています。

県知事施設や、ブリンハルジョ市場は、避けるべき世俗の誘惑と人間の欲望を象徴しており、Margo Utomo通り、
Malioboro通り、Magro Mulyo通りの左右には、「魅力」を意味するタマリンドの木と「穏やか」という意味のガヤムの木が植えられています。

現状は、グーグルマップも旧名が記載されており、住んでいる人たちの間でも旧名のほうが通じやすいです。

ジョグジャカルタ哲学軸、王宮に向かうPangurakan通り 2つの壁門

Pangurakan通りの壁門

 

城郭門プレンクン・ガディン Plengkung Gading

王宮南広場から南下してクラピヤッへ向かう途中にある壁門プレンクン・ガディン
1782年ハメンクブウォノ1世によって建設。
この門は、昔から伝統的に王が亡くなった時、イモギリにある陵墓へ向かう際に通る道とされており、ジョグジャカルタの王様は王位にある間は通ってはならないとされている門。

ジョグジャカルタ城郭門 プレンクン・ガディン