ラワン・セウ (Lawang Sewu) 千の扉
ジャワ語でラワン=扉、セウ=1000 の意味。
実際には扉の数は1000に至らず、928個だが、たくさん扉があることから名づけられたとされている。
本館は、オランダの私鉄会社NISM(Nederlandsch–Indische Spoorweg Maatschappij)の本社として1904年着工、1907年完成。
その後1916年に増設開始、1918年完成。
第二次世界大戦中は日本軍の拠点としても利用されていた。
現在はインドネシアの鉄道会社PT Kereta Api Indonesia所有の建物で、インドネシアの鉄道の歴史が学べる博物館となっている。
心霊スポットとなっていた地下は、現在は安全のため封鎖しており、見学不可となっている。
トイレは、当時のものがそのまま利用されている。
ラワン・セウの向かいにあるTugu Muda (青年の塔)は、戦後、日本軍とインドネシア独立軍との武力衝突「スマラン事件/5日間戦争」で犠牲となった青年たちの遺骨が納められている。
入場料
Rp30,000
開館時間
8:00~20:00
スマラン旧市街 (オールドタウン・スマラン)
19世紀から20世紀にかけて貿易の中心地だったスマランの旧市街。
このエリアには50近くの築200年、300年のコロニアル建築が残っており、「Little Netherland」(リトル・オランダ)と呼ばれていたりもする。
週末はカー・フリーナイトとなり、歩行者天国で涼しく歩きやすくなるので、日が暮れるころから見物するのもおすすめ。
カーフリーナイトは、道端でライブミュージックをしていたり、電飾のついたおもちゃを売る人などがいて、
まるでテーマパークの中を歩いている気分になるが、実際にある建物は、歴史的価値のある建物というのが面白い。
サン・ポー・コン寺院 (Sam Poo Kong)
スマランにある中国寺院。
15世紀初頭、明の時代に活躍したイスラム教徒の武将、鄭和によって建てられた。
1704年地すべりにより崩壊。
その20年後、現在の場所に移転し、再建。
祈りを捧げる仏教寺院である同時に、鄭和の社会貢献をたたえる場所となった。
鄭和はその後、ジャワ島を後にするが、一緒にやってきた乗組員たちは、この土地に残り地元の人と結婚し、その子孫たちが現在の寺院近くに住んでいる。
中国正月(イムレック)の時期は、サンポーコン寺院が新年を祝うお祭り会場となり賑やかになる。
その他毎年8月は、鄭和がスマランに上陸したことをお祝いする鄭和祭り(Festival Cheng Ho)が行われる。
入場料
平日 Rp35,000 / 土日祝 Rp45,000
開館時間
平日 09:00-20:00 / 土日祝 08:00-20:00
スマラン中華街 (Pecinan Semarang)
もともとはサン・ポー・コン寺院のあるエリアにあった中華街。
1740年代にオランダ植民地政府が現在の中華街のエリアに強制移住させた。
この場所は、当時オランダ植民地政府のある旧市街(オールドタウン)から近く、反乱などを起こさないよう監視する目的だったとされている。
大覚寺(Klenteng Besar TITD Tay Kak Sie)の近くには、スマラン名物、春巻きで有名な Lunpia Gang Lombokがある。
週末の夜、Gang Warung通りでは、Semawis Night Marketが開催され、たくさんの屋台でにぎわう。